森博嗣『自分探しと楽しさについて』感想 望みと計画と実行と
” 「望んでいれば、必ず実現する」という言葉を、僕は何度か書いてきた。非常に綺麗事ではあるけれど、これが意味するところは、まず「望め」ということであるし、同時に「望めば、自分が歩ける道を見つけようとする」という予測に基づいている。”
私は森博嗣の本とかは結構読んできたけどとても彼の真似はできない。かなり頭がいいし自己管理能力がかなり高い。身近に彼がいても絶対に相談はしない。これは本人も言っているが相談相手としてはあまり適していないだろう。だから本で彼の言葉に触れるくらいがちょうどいい距離感なのではないか。相談したとしても身も蓋もない結論がでて、それはわかってるけど…という感想になり、それを森博嗣はわかっていて、もうわかっているではないかなぜやらないのか?とかんがえるのだろう。本当になぜわかっているのにやらないのか出来ないのか。森博嗣的な思考と行動を目指すなら少しずつ真似ていくのがいいだろう。
上の引用の文章だとポジティブな印象を受けるが同時に何かをしたいのにやっていないという状況はありえないという話も森博嗣はしている。例えば小説家になりたいのなら小説は当然書いているはずだし書いているなら小説家と言えなくはないわけで本当は金がほしいのか?認められたいのか?という自分の欲求を見つめなければならない。森博嗣は自分のしたいことのためにお金をかせぐ手段として小説を書いていた。ここまではいいとしてそれを実際に実現してしまうのがすごい。そういう欲求を私が持ったとして行動に移せるだろうか。出来ないと勝手に判断してやらないと思われる。森博嗣は小説を書けると考えていた。お金を稼ぐためにマイナーな需要に答えるという方向性をもち、計画を立て、それらを実行することで実際にメフィスト賞を受賞してコンスタントに小説を出し、たくさんの印税を手に入れた。最近はドラマ化、アニメ化なんかもされている。
” 楽しさをうまく味わうためには、計画的でなければならない。なぜかというと、その計画自体が面白いからだ。いきなり実行するより、事前によく考え、プランを練ったほうが楽しさが増える。短時間で出来てしまうものより、時間がかかるモノのほうが面白いのも、この「計画」が必要な点にある。ゴールはずっと先にあって、そこへ近づく道が楽しいのだ。”
ここが私に足りていないのだろう。計画自体を楽しいと思えない。計画を建てたところで実行できない。計画そのものが下手だということもあろう。実行する意志が弱いということもあろう。計画を完璧に実行したとして目的が達成できるのか不安だから計画そのものに価値を見出していない。なら計画をちゃんとしろという話だ。
つまり成功体験が圧倒的に足りていないのだろう。計画そのものが目的に完璧に合致していてその計画を実際に実行する。その結果目的を達成する。これは難しいことでなくても良いから成功体験として自分の中で積み上げていけばそのイメージによって計画と実行が楽しくなるのかもしれない。うまくいかないことを楽しむのは難しい。成功体験こそが人をポジティブにし、楽しさを産むのではないか。
ならば成功を積み上げるしかない。まずは小さいものから。極めて簡単な目標を立て、それを確実に達成するための計画を立てる。その計画は確実に実行できるものにする。そして実行する。これを繰り返す。
今週毎日6時に起きる。こういう目標はどうだろう。一見簡単だがもっと簡単にしよう。ていうか目標は何だ?これ。毎日6時に起きるのは手段だな。もっと自分の欲望に忠実な目標を立ててそれにつながるような小さい目標を設定するのがいいのかな。
例えばお金を100万円貯めるという目標を立てたらその手段はいくらか考えられる。なんか考えるのが面倒になってきた。いつまでに貯めるのかとかなんのために貯めるのかとかも考えないと目標と計画としては不完全なのではないか。なんのために貯めるのかによって金額も変わってくるだろう。その金額を算定するのにも結構考えなければならないことが多そうだ。さらに手段も山のようにありそのなかから何を選ぶのかという問題もあり、ここで納得せずに適当に選んだら途中で挫折しそうだ。
出発点は自分は何がしたいのか?だ。これをかなり詳細に定めると計画もそれにしたがってはっきりしてくるのではないか?自分探しとは自分の欲求を知ることだ。ほんとうに臨むことならそれを達成するための道中も未来を想像しながらワクワクしながら、時には寄り道しつつも楽しめるんじゃなかろうか。