投稿

ラベル()が付いた投稿を表示しています

目的別本の読み方

本を読む際には目的ごとに読み方を変えるべきである。 何かを知るために本を読む場合には該当箇所を目次から探してその部分だけ読む。 それ以外の個所は暇なときに読む。もちろん読まなくてもよい。 娯楽目的の場合は最初から読む。 つまらないと感じたら読むのをやめる。これから面白くなりそうならば我慢して読む。 知るために買った本の該当部分以外の場所も娯楽目的に入る。 本を読むのは時間がかかる。 興味のない文章、自分が知りたいわけではないがもしかしたら興味が出てくるかもという部分に関しては優先順位を下げて暇なときに読む。 本を買ってすべて読まないのはもったいないと思うがそれ以上に時間がもったいない。

おすすめ漫画を紹介する。

ピンポン 松本大洋 窪塚洋介主演で映画にもなっている漫画。 映画も好きだが漫画も面白い。 卓球少年「ペコ」の成長を描いている。 ペコはずば抜けた卓球のセンスを持っている。 ペコの友達「スマイル」は強いがペコには勝てない。 そして勝てないことを自覚しているし勝ちたいとも思っていない。 非常にクールであり卓球に対しても冷めている。 しかし卓球部のコーチはその才能を見抜いていた。 コーチはかつて名選手であったがケガにより選手生命を絶った。 コーチはスマイルがペコに対してだけ手を抜いているという。 コーチはスマイルの本当の実力を引き出すために本気を出すように動き出す。 スマイルはコーチとの賭けにまけ、本気で卓球をするようになる。 いやいや始めたもののその才能は開花する。 ペコに圧勝した留学生チャイナにスマイルは勝利する。 ペコはチャイナに負けた上にもう一人の幼馴染アクマにも負けたショックで卓球から離れてしまう。 アクマは努力で最強の卓球部に入りスタメンを勝ち取った。 しかしその中でも最も強いドラゴンは大会でみたスマイルを非常に気にいる。 アクマはスマイルに負けていないことを証明するために禁止されている対外試合をスマイルに対し申し込む。 そしてぼろ負けする。 アクマは禁を破って対外試合をし、さらに負けたために卓球部をでる。 アクマはペコの才能に憧れていた。 そして努力して努力してペコに勝った。 それでもスマイルには負けた。 それは才能がないからだった。 スマイルは才能があり、コーチがいて、血のにじむような努力をした。 アクマはペコにはスマイルに負けない才能があると感じていた。 だからもったいないと感じたのだろう。 自分がほしくて仕方がないけど手に入らないものをペコが腐らせているのを見ていられない。 自分はやめるけどペコにはその才能を殺してほしくなかった。 この漫画では明確に努力は才能に負ける。 才能がないものの苦悩と才能があるが故の苦悩が描かれる。 才能があっても上に行こうと思えばその中での競争になる。 才能と努力をどちらも兼ね備えていなければならない。 そしてその才能と努力は人を孤独にする。 ドラゴンはスマイルに近いものを感じていた。 同じ孤独を分かち合える存在として。 そしてスマイ...

【スラムダンク考察】井上雄彦の漫画は挫折したり、あきらめそうになったり、自分を否定しそうになった時に踏ん張る力をもらえる漫画だ。

スラムダンク感想 いわずと知れた高校バスケ漫画。 成長する過程をきっちり描いているから説得力がある。 漫画でも小説でもそうだが都合がよすぎると冷めてしまう。フィクション感がつよくなってしまう。 井上雄彦の漫画には説得力があるから好きだ。 桜木がどんどん変わる一方で流川や赤木は変わらない。 桜木の成長物語であり彼らはそのサポーターとしての役割を果たすからだ。 だが、クライマックスである山王戦では変わる。 山王戦が最高なのは桜木以外の成長がテーマになっているから。 桜木の葛藤や苦悩がガッツリ描かれてきた今までとは違い、赤木や流川の挫折が描かれる。 変わることがどれほど大変であるかがこの一戦で描かれる。 桜木と違って赤木や流川はそう簡単には変われない。 負けたことがねーからだ。 赤木はチームでは負けたかもしれないが個人では負けていない。 個人としては認められていたのだ。 今までの成功体験をすて、変わらなければいけないとき、必ず踏まなければならないステップがある。 負けを認めることだ。 負けという現実を直視することだ。 だから赤木がそれを悟るためには魚住が必要だった。 魚住は赤木に負けたくなかった。それでも最後の湘北-陵南戦で負けを認めた。 すべてはチームが勝つために。 自分がチームの主役となって赤木に勝たなくても、仙道、福田を活かして勝つことを目指した。 魚住の苦悩はずっと描かれてきた。赤木に負けまいと必死になった魚住が一歩を踏み出した瞬間は、赤木に対して負けを認めた瞬間だった。 赤木は山王戦で河田にぼこぼこにされる。完膚なきまでに負ける。 そして自分が勝たなければならないと追い込まれ、視野が狭くなる。 そして湘北の魂は消えかかる。 魚住は刺身のツマを使って自分がたどりついた結論に赤木を導く。 赤木は自分が負かせた魚住からヒントを得る。 自分が負けても湘北が負けるわけではない。 そこから赤木は河田との直接対決を避け三井へのサポートプレーを連発する。 個人では負けていることを認め、サポートに徹することを選んだ。 今までの自分を否定されたときにどう行動するのか。赤木はすべてを見失いそうになった。 勝ち続けてきたからだ。個人として負けることに態勢がなさ過ぎた。 流川はまさに最強のキャラだった。 ...

クリムゾンの迷宮 感想 ネタバレあり

この記事はネタバレを含みますのでご注意ください。 貴志祐介のクリムゾンの迷宮を読んだ。 面白かった。 あらすじとしては起きたらわけのわからん場所にいた主人公がたまたまパートナーとなった女性と組んで誰かに仕組まれたゲームのクリアを目指すというかんじ。 ゲームの主催者はわからないまま終わるが非常に巨大な組織で金持ちの道楽としてこのようなゲームを主催している模様。 ゲームは複数人で行われ、殺し合いが起こるように仕組まれている。 過酷な状況で人がどう判断し 行動し、どのような結果になるのか、刺激的なシーンとともに映像として楽しむために主催されている。 このゲームをみるのは悪趣味な金持ちである。 主人公は過酷な環境の中でサバイバルしつつもゲームに勝ち残るために考え、行動していく。 ゲームの参加者とのバトルも避けられないため、スリルのある展開を楽しむことができる。 この小説を読んで思い浮かんだのはメタルギアソリッド3だ。 サバイバルをしつつも戦闘もあり、追手から隠れなければならない。 ゲームっぽい楽しみ方ができる小説だ。 そしてそれが楽しめるのは自分ではない誰かがやっているからだ(小説やゲームの場合キャラクター)。 自分はやりたくない。 まあ死んだり痛かったりしなければやってもいいけどうまくやれる自信はない。 この小説の主人公もかなり物知りだ。 といっても特に天才的に描かれていないところも感情移入してハラハラできる要因かもしれない。 しかし、こういう小説を楽しめるというのはこの小説内の悪趣味な金持ちと同じような資質はあるのかもしれない。 もちろんグロテスクなものを見たいというのが分かれ目なのだろうけど。 しかし逃走中とかのテレビがはやったのも似たようなものを見たいと思ってる人がおおいからではないか。 人の性格とか判断とか行動って結構違うと思うけど日常ではそれはあんまり見ることができないような気がする。特に日本はそうなのかもしれない。 そういう意味ではこういうゲームってのは普段見れない人の多種多様さみたいなものを引き出すいい方法なのかもしれない。 ひとの性格の違いとかを見るのが楽しいというのはなんなんだろうか。 ○○派か××派かみたいな話題は結構盛り上がるしね。 自分と同じ考えなら共感できるし違う考えならなんでそう...

森博嗣『自分探しと楽しさについて』感想 望みと計画と実行と

”  「望んでいれば、必ず実現する」という言葉を、僕は何度か書いてきた。非常に綺麗事ではあるけれど、これが意味するところは、まず「望め」ということであるし、同時に「望めば、自分が歩ける道を見つけようとする」という予測に基づいている。”  私は森博嗣の本とかは結構読んできたけどとても彼の真似はできない。かなり頭がいいし自己管理能力がかなり高い。身近に彼がいても絶対に相談はしない。これは本人も言っているが相談相手としてはあまり適していないだろう。だから本で彼の言葉に触れるくらいがちょうどいい距離感なのではないか。相談したとしても身も蓋もない結論がでて、それはわかってるけど…という感想になり、それを森博嗣はわかっていて、もうわかっているではないかなぜやらないのか?とかんがえるのだろう。本当になぜわかっているのにやらないのか出来ないのか。森博嗣的な思考と行動を目指すなら少しずつ真似ていくのがいいだろう。  上の引用の文章だとポジティブな印象を受けるが同時に何かをしたいのにやっていないという状況はありえないという話も森博嗣はしている。例えば小説家になりたいのなら小説は当然書いているはずだし書いているなら小説家と言えなくはないわけで本当は金がほしいのか?認められたいのか?という自分の欲求を見つめなければならない。森博嗣は自分のしたいことのためにお金をかせぐ手段として小説を書いていた。ここまではいいとしてそれを実際に実現してしまうのがすごい。そういう欲求を私が持ったとして行動に移せるだろうか。出来ないと勝手に判断してやらないと思われる。森博嗣は小説を書けると考えていた。お金を稼ぐためにマイナーな需要に答えるという方向性をもち、計画を立て、それらを実行することで実際にメフィスト賞を受賞してコンスタントに小説を出し、たくさんの印税を手に入れた。最近はドラマ化、アニメ化なんかもされている。 ” 楽しさをうまく味わうためには、計画的でなければならない。なぜかというと、その計画自体が面白いからだ。いきなり実行するより、事前によく考え、プランを練ったほうが楽しさが増える。短時間で出来てしまうものより、時間がかかるモノのほうが面白いのも、この「計画」が必要な点にある。ゴールはずっと先にあって、そこへ近づく道が楽しいのだ。”  ここが私に足りていないのだろう。計画自体...

森博嗣 自由をつくる 自在に生きる 感想 計画と実行について

森博嗣が自由について語った本 森博嗣の新書である。森博嗣は小説で大儲けしてアーリーリタイアした後趣味を満喫する人生を送っている。森博嗣は小説をお金をかせぐためと割り切っていて結果的にその目標を達成しとことになる。割と身も蓋もない事を言うので参考になるか、すなわち森博嗣みたいに慣れるかというと難しいかもしれないが、常識に縛られないための考え方として触れとくのはおすすめだと思う。 この本を読んでいいなと思ったというか再確認させられたのは計画と実行の大切さについてだ。森博嗣は極めて計画的で自分を自制することに長けているという印象だ。私のようにその時その時の誘惑に負ける事無く長期的でかつ重要な目標のために日々少しずつ進めていくことができる人間である。 自由を得るためには、毎日少しずつでも良いから前進をする作戦が最も有効だと思う。どんな山でも、一歩一歩登っていけば、いつかは頂上に辿り着ける。目標は見えているのだから、休まずそこを目指す。今日できることをする。何かできることはないか、といつも探す。そして、無理をせず、時間をかけて少しずつ進む。そうすることが、一番楽なのである。 自分の身の回りのこと、自分の人生の構築に関しては、やはり自分一人だけがスタッフである。自分が怠ければ進まない。休んでいる間に好転することもない。今日やらなければ、明日はもっと辛くなる。今遊んでいると、将来必ず不自由になる。それくらいの計算は人間ならばできるはずだ(動物でも少しはできる)。自分で決めたノルマに支配されることが、より大きな自由のためには不可欠となる。他者によって支配されるよりは、ずっとましだし、それに楽しいはずだ。一歩一歩、無理にならない範囲で、しかし、確実に少しずつ前進をするのである。 この考え方は非常に重要だ。更にいうと一歩一歩進めない場合でも一歩一歩進むことを諦めないで、次はやろうとすること。理想は計画を立てて毎日少しずつ実行できる人間であるなら、今はそうではないわけで、いきなり理想の人間に慣れるわけないのだ。だから一日できなくてもそれは普通なのだ。必要なのは出来た日とできなかった日を記録して、出来た日の比率を増やしていくことを目指すことだ。 理想は毎日少しずつ進めること。今はどうか?最初はできるかもしれないけど徐々に初心は忘れていくものだから一ヶ月程度は記...

文章と想像力 森博嗣『小説家という職業』より

小説家という職業 森博嗣著 より引用 『人は、同じものを見ても同じようには捉えない。同じ文章を読んでも同じことを認識するわけではない。文章を書く場合には、読み手にどう捉えられるか、書きながらそれを考えることになる。相手にどう伝わるのかを考えずに書くことは、ほとんど意味が無い行為である。自分に対するメモでさえも、将来の自分がどうそれを読むかを想像する。その想像をしないで書いているとしたら、それは「文字を書いている」だけで、「文章を書いている」のではない。否、文字でさえ、その形を他者はどう捉えるかを予測して書かなければ、記号の意味がなくなってしまう。世にある悪筆・悪文というのは、要するに想像力の欠如から生まれるものだ。』 文章と想像力 この想像力の欠如。まさに私のことを言われているようで心が傷んだ。私は文章を書くときにこれを読む人がどう捉えるかということはほとんど考えない。このブログがそうだ。どう読まれるかというより何をどう書きたいかのみが表現されている。逆にそれを気にするとかなり時間が掛かるし問題点ばかりが浮き彫りになり嫌になるのだ。 他人に見せる前提でこのブログは書いていないからそういう書き方になるのだろう。 これが誰かに見せる前提の文章だったら心構えは違うのだろうが恐ろしく時間が掛かるしストレスも半端じゃ無いだろう。 それを自発的に書くということは今後もなさそうだ。 森博嗣氏は文章を書くことをビジネスと割り切っているわけだから見返りをもらう事が前提となっているわけだからこのブログとはまるで違うだろう。 目的意識と行動 つまり目的意識を持つことから始めるべきなのだろう。目的も目標もない行動はなんらプレッシャーもなくグダグダになりがちだ。自分を統制できないと自認している私はなおさらそうだ。 今後は気をつけてみようかな。

ハンターハンターが2014年6月2日に再開するらしいので暗黒大陸とか気になることを思い出す

ハンターハンターが再開するらしいのでちょっと今までの展開とこれからの展開についてきになることをまとめておこう。 ”約5000個のマユを回収している” ”パリストンはこいつらで遊ぼうとしている” ”でかい庭も手に入れたしな” でかい庭というのはNGL。 ”保護区の管轄責任等のすべてはハンター協会に一任されることとなった” そしてハンター試験で何かが起こりそう。 ”Xデーは次にハンター試験日” あとはハンター十か条の問題がある。 ”ハンター十か条の解釈次第で少し状況が変わる” 関係ありそうなのをピックアップする。 ”ハンターたるもの 何かを狩らねばならない” ”一度ハンターの証を得たものは如何なる事情があろうともそれを取り消されることはない” ”ハンターたるもの 同胞のハンターを標的にしてはいけない ただし甚だ悪質な犯罪行為に及んだものにおいてはその限りではない” ”新たに加入する同胞を選抜する方法の決定権は会長にある ただし従来の方法を大幅に変更する場合は全同胞の過半数以上の信任が必要である” この辺だろうか。 考えられるのは次のハンター試験でマユから孵化した半獣人が大量にハンター試験に来ることか。 ハンター試験を保護区で行う可能性もある。 そして蟻人間がハンターの資格を得る。 念能力を使えるわけだから従来のハンター試験のレベルで言えば楽勝だろう。 基本的にはハンター試験の受験者は念を知らないわけだから。 ただマユからかえった蟻はどういう状態7日は微妙。 パームは操られていたけどもうプフがいないし。 凶悪な人間だったのはNGLの裏の人間で彼らが蟻になった時は残虐だったけどマユにされたのは普通の住民と思われる。(裏の人間は女王に食われたという解釈) しかしパリストンが会長をやめてしまった。 これでハンター試験の方法はチードルが決めれるわけでパリストンの企みはどうなるの? それでもパリストンは去り際に ”ハンター試験と十か条の改正はお早めに…” とチードルに言い残している。 これは純粋にアドバイスしているようにも思える。 チードルでは相手として不足と感じているのはまちがいないためそのように聞こえるセリフとなっている。 つまりこれらを改正しないとチードルたちにとって何らかの不都...